2026年03月19日(木)

「天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに 行こうとして御顔をまっすぐに向けられ・・」ルカ9:51



主がエルサレムに向かおうと、十字架を見据えて、心を定められ、
御顔をまっすぐに向けられた。主の決意だ。サマリヤを通過するが、
宿泊の準備のために、使いを先に遣わされた。しかしサマリヤでは、
主を受け入れなかった。協力もしなかった。その時、弟子たちが
「私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか」
と言った。

敵対する者たちは、裁かれて当然だと。しかし、主は彼らを戒めら
れた。人の思いと神の思いには大きなへだたりがある。主がエルサ
レムへ向かわれるのは、多くの苦しみを受け、十字架にかかるため
だ。神のあり方を捨て、ご自分を無にし仕えられるため。自分を卑
しくし、すべての罪を身に引き受け、贖いを成し遂げるためだ。

御父に徹底して従われるためだ。しかし、弟子たちには、その事が
わからず、理解できない。その前には、この中で誰が一番偉いかと
議論していた。彼らの関心はそこにあった。だが主は一番小さな者
が一番偉いのだと、諭された。主が決意して、まっすぐ御顔をエル
サレムに向けられたように、私たちの進む道も、十字架の道だ。

それは自分を捨てる事であり、自分の思いを通すのでなく、主の御
心が成るようにと、御心に歩む道だ。しかしその時、主とひとつだ。
何と幸いで、嬉しいことだろう。今、目の前に、自分に死ぬ道、主
に従う道が示されているだろうか。御霊の促しがあるだろうか。
一歩進もう。
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自分のしたいと思う事をどこまでも通したい者だが、御心かどうか
を祈り、主に従う道を選ぶ自由もある。従おうとする時に、捨てる
ものも示される。一歩進みたい。