2026年08月19日(水)

「ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがた は、主にあって一致してください]ピリピ 4:2



ピリピの教会で、ユウオデアとスントケは、双方、主の
ために歩んでいたが、何かで仲たがいをしていた。そこ
でパウロは、主にあって、一致するようにと勧めている。
続けてパウロは、何事も自己中心や虚栄からすることが
無いように、へりくだるように、そしてお互いに人を自
分よりも優れた者と思うように、とも言っている。

一致を妨げるものが「自己中心」と「虚栄」だと。自分
の意見を言い出すと、十人十色で、それぞれの思いがあ
り、皆、異なる。そこに肉が出てくるので、そして自分
は正しいと思うので自己主張し、争いとなる。争いにな
ると、プライドが傷ついて、敵対心や腹立ち、恨みとな
る。

対人関係で、心にむくむくと出て来る、「苦い根」はど
うだろう。さばく思い、赦せない思い、敵意、妬み・・根
は、心に巣くって、はびこってしまう。苦い根に気をつ
けるようにと言っている。御霊の光で照らされて、気づ
きが与えられ、主の血潮で、赦して頂こう。

悔い改めにより、苦い根をどんどん引き抜こう。きよめ
て頂こう。庭の雑草を、絶えず引き抜いてきれいにする
ように、御霊に心を探って頂こう。ざらつく思い、いら
立つ思い、不満、ことごとく主のもとに持って行こう。
悪い実を結実させてしまう前に。

一致は、「主にあって」と言っている。「自分にあって」
なら、当然、皆違い、バラバラだ。しかし、「主にあっ
て」なら一致できる。主が、私たちの接点であり、自分
の肉の思いを捨てて、主のみ思いを求めるなら、主は一
つ、御心は一つなので、そこに必ず一致がある。
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苦い思いが来ると、心に平安が失われ、御霊に示される。
「自分にあって」なら一致は不可能だ。主の前にへりく
だり悔い改めたい。一致を求めたい。