2026年10月19日(月)

「父は彼に言った『おまえはいつも私といっしょにいる。 私のものは、全部おまえのものだ』」ルカ15:31


ある時、主のもとに、取税人や罪人たちが話を聞きに来
た。それを見たパリサイ人たちが、主が罪人を受け入れ、
食事を共にすると非難した。そこで主は、3つの失われ
たものが見つかった、喜びの話をされた。一匹の羊と一
枚の銀貨と放蕩息子の話だ。

迷った羊、無くした銀貨、放蕩息子は、取税人や罪人で
あり、迷っていない羊、無くなっていない銀貨、兄息子
がパリサイ人、律法学者だ。失われたものが見つかり、
大喜びしたと同時に、失われていないものも同じく愛さ
れている。パリサイ人たちは、自分たちは迷っていない、
失われていない、放蕩していないと思っていた。

その放蕩息子の話の中で、放蕩した弟が戻り、父親が大
喜びで宴会している事に、兄は激怒した。自分は、毎日
〃辛い労働をしているのに、これは一体どういう事なの
か。弟は、冷ややかに「あなたの息子」と言い、父に怒
りが向く。しかし父はそんな兄を愛し、なだめて、寄り
添い話を聞く。兄は、父親の愛がわからない。

自分には子山羊一匹くれない、何もしてくれないと言う
が、そんな事は有り得ない。父親は「おまえはいつも私
といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ」
と。全部だと。これほどの愛で愛されている。弟を迎え
入れた父は、存在そのものを無条件で愛している。

兄のことも同様だった。それが兄にはわからない。私た
ちも、時に、兄息子になる時がある。気づきが与えられ
る。すぐに、父の愛のもとに帰ろう。主の愛の中で、安
んじ、主の中にとどまろう。
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自分が正しいと思い込んでいるなら、御父の愛は何も見
えない。無条件で愛されていることを忘れずにいたい。
御父からの愛と恵みに心から感謝だ。