2004年07月19日(月)

「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです」(マタイ20:1)




 ユダヤは、八、九月がぶどうの収穫期だ。しかし、九月から雨期に入るので、それまでにすべて収穫し終えておく必要があった。それで猫の手も借りたい忙しさとなる。この主人は早朝から三時間おきに労動者を雇う。収穫を完了させる事と、又、できるだけ多くの人に仕事を与えたいとの配慮がある。それで終業間際にも雇い入れた。朝から労苦したものと同一賃金であった時、文句と抗議が出た。今まで気づかなかったが、自分の内にある嫉妬、冷酷、非情、愛の無さ、自己中心、怒りが噴き出したのだ。普段から内側にあるが何も起こらなければ決して出て来られないものだ。ある状況により自分自身の本性があらわになる。私達の奉仕、日常生活の動機、態度はどうだろう。
---------------------------------
自分にとっての恵みや祝福は何も変わっていないのに、人を見ては妬み、自分が正当だと思えば、神様の権威を自分の側から判断して不平不満をつのらせる。人との比較の中で何かをしようとせず、常に変わらぬ恵みを持って愛してくださる神様だけを仰ごう。