2004年11月17日(水)

「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった・・この人のほうが、前の人よりも、義と認められ、家に帰って行きました」(ルカ18:10)


良い行いとは、行ないそれ自体が良いという意味ではなく、動機が正しいと良い行いになる。祈ること自体は良いことだ。しかし、もし人に見せるために祈るなら、人から賞賛を得るために祈るなら、その祈りは間違っている。ある時、二人の男が祈るために宮に来た。一人はパリサイ人で、一人は取税人であった。二人とも祈ったが、一人は義とされて帰り、一人は罪のまま帰った。正しい行いは、正しい動機でなされる時だけ正しいのだ。それ自体は良くも悪くも無い行ないが沢山ある。愛を持ってなされれば正しいし、自己中心な動機でなされれば間違っている。その行ない自体でなく、その動機によって良くも悪くもなる。私達の動機はどうだろう。
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行ないの目的は何かをよく見分けなければならない。的はどっちを向いているのか。自分の義を立てるためのものなのか、信仰に導かれたものなのか。