2005年04月18日(月)

「男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼い葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカ2:7)

ある父親が、夏休みに、突如思い立って、車
で家族旅行に出かけた。高原で素晴らしい景
色を堪能し、快適に過ごした後、宿泊のため
のペンションを捜したが、どこも満員。行楽
の時期だけに全く空きが無かった。有名なク
リスマスの記事だ。ヨセフ達も同様だった。
臨月のマリヤを抱え、幾ら捜せども空き室が
無かった。それで、家畜小屋での出産となっ
た。彼らの居場所が無かったのだ。今、あな
たの信仰生活はどうだろう。あなたの心の中
に、主の居場所はあるだろうか。自分の計画
と自分の欲望で一杯か。主を締め出している
か。自我が王座を占め、主には余地がなく、
居場所が無い状態か。心の状態を静かに探っ
てみよう。この世の事で一杯になっている私
達の心に、部屋を求めて叩き続けておられる。
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自分の心の中に、主の場所があるだろうか。
「だれもみな自分自身のことを求めるだけで
キリスト・イエスのことを求めてはいません」
主を締め出していて、心が痛いだろうか。外
側からノックし続けておられる。外側に取っ
手は無い。内側からしか開ける事が出来ない。