2005年06月18日(土) 「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、なんと幸いなことでしょう」(ルカ1:45)
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、なんと幸いなことでしょう」(ルカ1:45)
主は御口をもって語られ、御手をもって成し 遂げられる。「ことば」は事実という意味があ り、神はみこころなら必ず実現成就される。 また、逆にみこころでなければ、道が閉ざさ れる。環境を閉ざされる事は、主がみここ ろを示される方法だ。受験や就職試験等の 不合格は落胆するのではなく、みこころは別 のところにあるという事だ。信仰は聞く事から 始まり、聞く事は御言葉による。信仰は御言 葉から来る。御言葉理解があいまいなら、信 仰があいまいになる。御言葉の理解は大切 だ。聖書の御言葉をしっかりと知る時、信仰 が生まれて来る。正しく知るなら信ぜざるを 得ない。御言葉から離れず、御言葉を握り、 反すうし、御言葉にしっかり立とう。状況に 振り回されず、御言葉を「一心に見つめて 離れない」(ヤコブ1:25)なら、信仰が 湧き実現を見る。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ しばしば約束の御言葉と、目の前の状況は正反対だ。 どちらを選択するかで歩みが決まる。サタンは状況を 見せて思い煩わせ落ち込ませ不信仰にする。御言葉 の方を選び、一心に見つめよう。「信じきる」信仰が与 えられる。