2005年10月19日(水) 「キリストは、神の似姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり・・」(ピリピ2:6)
「キリストは、神の似姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり・・」(ピリピ2:6)
あるメーカー業績落ち込み、不振の中、 再建を目指した。その時、社長自らが ライバルメーカーを一軒一軒回り、相 手社長に会い、自社の製品のどこが悪 いと思うかと意見を求めた。すると皆、 大変好意的な反応で、招き入れてくれ、 様々な見解を聞くことが出来た。そして、 ものの見事に再建を果たしたのだ。この クリスチャン社長のへりくだりが実を結ば せた。神は私達をへりくだった者とされ たい。プライドと虚栄心で膨れ上がった 者に、神は数々の悩み問題を通される。 困難にぶち当たりどうにもなすすべ無く、 神に頼るしかない断崖絶壁に追い込ま れる。自らの絶対無力を知る事こそ、実 は最大の恵みだ。心が神に叫び、神に 心底頼るその時、へりくだった者と造り 変えられて行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主が、ご自分の事を考えられたら、この 世に来られなかったし、私の救いも無 かった。自我が砕かれて行く時、初めて 実を結ぶ。まずこの自分のために、ご自身 を捨てて下さった主を、今日1日思おう。