2006年01月19日(木)

「偽善者たちのように、してはいけません。彼らはすでに報いを受け取っているのです」(マタイ6:16)


主は罪人を愛されたが、偽善者を
弾劾された。蛇、まむしの末、白
く塗った壁と。主の近くに、ずっ
とパリサイ人もいた。私たちも、
御言葉の物差しを人に向け、さば
いてしまう、それはサタンの罠だ。
御言葉は自分にだけ向けるべきだ。
自分の事としてだけ聞くべきだ。
人に向けた途端、恐ろしい高慢と
さばきの罠に陥る。私たちはよく
すり替えをする。「人々が負担だ
から」そうではなく、自分が負担
なのだ。この手の偽善が日常にな
いか。まっすぐ主に、「私は負担
です」と言えばよい。主は受け止
めて下さり、良きに導いて下さる。
又、霊的な、信仰深い振りはない
か。信仰薄い者ですと、まっすぐ
に主に行くなら、信仰を与えて下
さる。人前に生きる偽善に注意し
よう。人に自分を良く見せたい誘
惑だ。信仰深く、良い人に見られ
たい。それを続けると、神から離
れ、暗闇に陥る。どんな時も正直
でいよう。
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偽善を許していると自分に自分が
欺かれてしまう。幸せな振り、光
の中を歩んでいる振り、敬虔な振
り、いつのまにか主との交わりか
ら遠くはなれ暗闇を歩いてしまう。