2006年03月19日(日)

「比較したりしようなどとは思いません。しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12

誰しも比較の誘惑に陥ってしまう。目に見え
るところなので、強い誘惑が来る。比較の結
果は、優越感か劣等感だ。どちらも根は同じ
で裏表であり、高ぶりから来ている。基準が
人であり、人を基準に自分を量る。そうする
時、自分の立つべきところを見失い、迷路に
迷い込む。いつも人が気になって仕方がない。
どう見られているかが気になり、人が見てい
る自分を意識して、自分を演出する。その結
果、本当の自分でない自分を生きるようにな
る。そういう人は多い。そのつけは、神から
離れるという大きな代償となってやって来る。
良いクリスチャンの振りをすると、自分がわ
からなくなり、神がわからなくなって行く。
自分から真実を踏みにじり、偽りを行なって
行くからだ。ありのままで神の前におれば、
神が導き、造り変えて行って下さる。日々、
人ではなく、神に向こう。人が主に向くなら、
おおいが取り除かれ、人から自由にされる。
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比較の誘惑、良い人の振りをする誘惑が来た
時、助けを求めて祈ろう。主の前にはいつも
正直でいよう。本音を受け止め、本当の自分
を受け入れて下さっている。偽りはサタンか
らだ。