2006年04月18日(火) 「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです」(ヤコブ1:2)
「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです」(ヤコブ1:2)
我慢と忍耐は違う。我慢は、 苦しみが通り過ぎるのを、 ただじっと待つだけであり、 消極的で希望がない。 ここでいう忍耐とは、神が この事を必ず良きにして下 さると信じて、待ち望むこ とだ。忍耐とは積極的なも ので希望がある。この忍耐 が生まれるのは、信仰が試 される時だ。真っ暗な中で、 神が必ず良くして下さる、 夜の後に朝が来ると信じて 待つ事だ。この信仰を神は 喜んで下さる。朝が来ると 信じるのは、夜だ。 試練の時にこそ信じ待つ事 ができる。試練でなければ 不可能だ。だから霊的成長 を遂げる事の出来る、試練 を喜べと言われる。 「我慢」でなく、「忍耐」 する事が大切だ。我慢は何 の実も結ばない。ある人が、 自分は忍耐でなく我慢して いた、神への信仰と期待の 忍耐でなく、自分の力です る我慢だから鬱積が溜まり、 それは必ず大爆発すると。 忍耐と我慢、神への信頼と 自分の力の違いだ。 あなたはどちらだろう。 忍耐は私達を必ず一段階 成長へと導く。 ------------- 心の不満の対処が出来てな いから我慢は苦しい。 すべてを委ねて朝が来る事 を待ち望む時、心は平安に 導かれる。我慢でなく忍耐 を学ぼう。