2006年08月19日(土) 「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」ルカ18:7
「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」ルカ18:7
なかなか祈りが聞かれないと思う時がある。 祈っても祈っても答えがない。どうなってい るのか、まるで放って置かれているように感 じる。しかし、神は祈りを聞かれている。そ して、決して失望しないで、祈り続けるよう 言われている。祈り続ける事を通して、訓練 されるからだ。答えを引き延ばされ祈り続け る中で、忍耐が養われる。忍耐する者へ変え られて行く。時間をかける中で、自らの動機 があぶり出される。自己中心、自我、肉欲に 気づかされる。自分の欲望、虚栄心、プライ ド、体面、不純物を知る。自分の願いでなく、 御心が成るようにと、心が、祈りが変えられ て行く。そして、自分自身が変えられて行く。 それは、時間をかけて祈り続ける中でしか得 られないものだ。祈りの答えと共に、いやそ れより遙かに素晴らしい霊的成長を与えられ る。途中で祈りを止めてしまうなら、これら すべてを逃してしまう事だ。こちら側では壁 のように感じても、神は聞いておられる。必 ず答えを受け取る。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 答えがしばしば違う形で来る。願ったように とは限らない。違う形で来るのでわからない。 受け取り損なっていないか、よく点検してみ よう。願い通りではないが、遙かに良いもの であり、自分の霊的成長とされている事は多い。