2006年12月19日(火)

『「あなたの神である主を試みてはならない」』(マタイ4:7)

ある人が「神が今すぐに○○して
くれたら、神を信じる」と祈った。
○○は答えられず、成らなかった。
しかし、その祈りは、○○をして
くれたら信じるが、そうでなけれ
ば信じないという、自分が従うので
はなく、自分を神の上に置いた神を
試す恐るべき高慢な態度だと気づか
された。○○してくれたなら 神を
信じる。これは不信仰以外の何もの
でもない。神が自分の思い通りに動
くかどうか、神を試そうとする態度
だ。しるしを求めることは、つまり
は、御言葉だけでは疑わしいから、
信じれないから、納得できるものが
欲しいという事だ。自分の不信仰を
棚上げして、自分を納得させろとの
要求だ。自らの「不信仰」が問題な
のだ。人間はどうしても、自己中心
なので、自分の願い通りに叶えられ
ないと納得できない。神を信じると
いうのは、神が自分の思い通りにな
るから信じるという事だ。自分中心
の心は、神がどんなに大きなみわざ
をして下さっても、自分の願い通り
でないなら、決して納得する事はない。
自分の思いがすべてであり、自分の願
い通りになる事が、神に愛されている
という事だ。だから神の愛がわから
ない。他人ごとではない、自分自身の
姿はどうだろう。
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もしかして自己中心な見方しかできて
いないのでは、とよく振り返ってみよう。
御霊に心探って頂こう。それに気づいて
行く時、初めて今まで見えなかった神が
見えて来る。自分への深い愛、奇跡のみ
わざが見えて来る。