2007年01月19日(金)

「もし、私たちが自分の罪を言いあらわすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめ」Tヨハネ1:9

     


ある女性が、母親を憎み悶々状
態だった。神を信じた後、その
事が取り扱われた。苦悩の中に
いた。憎んで苦しいのは相手で
なく、自分なのだ。心が、がん
じがらめだった。神の御前に、
この事を差し出し、祈った。
聖霊は心に示された。あの時あ
あで、この時こうで、こうなっ
たのは、母親のせいだと思って
いる事。それで母親を恨み、憎
んでいる事。しかし、母親を責
めていれば、自分を見なくてす
む事も。そして、母親がどうで
あれ、その母親を憎む事は、自
分の側の問題であり、それは自
分の罪である事を。それがわか
った時、どうであれ母親を憎む
事自体は、自分の罪と、神の前
に認め悔い改めた。その時、涙
が溢れ心が溶かされて行くのを
感じた。神の赦しを実感し、心
が平安になった。そしてあの憎
しみと苦しみが不思議に消えた。
相手に関わらず、自分の感情、
思いは自分の責任だ。それを認
めて、悔い改める事が、責任を
取るという事だ。  
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自分の醜い罪はイエス様の十字
架によって赦されていながら、
人を赦すことも愛することも出
来ない。私達はそのような者だ。
見つめるのは自分の罪。ごまか
さず罪を認め言い表すなら、神
様は豊かに赦して下さる。