2007年03月17日(土)

『するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」すると、すぐさま彼は見えるようになり』マルコ10:32

バルテマイは乞食だった。人々から金銭を、
物を恵んでもらって生活が成り立っていた。
だから人々に物を求めた。しかし、主に求
めたものは金銭ではなかった。「目が見え
るようになること」だった。人々には出来
ない、しかしこの方には可能との、信仰に
よった。信仰がなければ求める事などしな
い。彼には信仰があった。その信仰は「私
をあわれんで下さい」との叫びを生み出し
た。止められても、ますます叫び立てた。
もし、主が受け止めて下さると信じなけれ
ば、どこまでも叫ぶ事などしないし、出来
ない。又、はなから求めもしない。彼は真
剣で必死だった。この時、この機会しかな
いと全身で叫んだ。ザアカイも同様だ。今
を逃してチャンスは二度とないと、木にま
で登った。もし、ここで憐れみをもらわな
ければ、生涯盲人のまま、又、ザアカイは
一生虚しい暗い日々があるだけだ。絶対に
このままでは帰れなかった。主は答えて下
さった。私達はどうだろう。あなたの求め
は、どっちでもよい程度のものか。又、諦
めているか。彼は何一つ「出来なかった」。
しかし、叫ぶ事が「できた」。この求めを、
神は待っておられる。
・・・・・・・・・
神は何も求めておられない。何を提供する
事も出来ない。心底からの「助けて」との叫
びを求めておられる。それだけだ。人生が大
きく変えられて来たのは、心底叫んだ時だっ
た。与えるだけのお方だ。