2007年08月19日(日)

「御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか」ガラテヤ3:3

ある人が、大嫌いな相手がいた。しかし、
クリスチャンなので、そう思う事は非常
にとがめを感じた。良いクリスチャンで
ありたい。だが、相手を見ると憎しみが
湧いた。でも、いけないと葛藤し、愛の
行ないをしようと頑張った。礼儀正しく
振る舞い、外側を繕った。しかし頑張る
ほど、ストレスは大きくなって行った。
自分は決して言わないが、周囲の言う相
手への悪口、噂話に、心でしっかり同調
してストレスを発散させていたのだ。懸命
に努力するが、決して御霊の実、愛の
実を結ぶ事はなかった。返って陰険、
陰湿になって悪い実を結ぶ。これは内側
の問題にきちんと向き合わずに、外側
ばかりを改善しようとする事だ。内側が問
題だ。行ないを頑張るのでなく、まず神
の御前に、自らの憎しみ、敵対心を認
め告白する事だ。自分の罪に直面し、
罪として認める事だ。それは自分と神と
の関係であって、相手は関係がない。
しばしば相手が悪いと自分を正当化し
て、自分の憎しみを認めようとしない。
しかし憎んでいるのは自分であって、
相手ではない。自らの罪だ。主の赦しを
受け取り、まず神と正しい関係になる
時、癒されて行く。内側の罪を、外
側の行ないにすり替え、ごまかしては
いけない。ますます悪化するばかりだ。
自分と神との関係が第一だ。
・・・・・・・・・・・・・
愛が無いこと、敵対心と憎しみを神の前に
認めることがへりくだる事だ。プライドが自分
を正当化させ認めさせない。自分の罪と
無力を認める時、御霊が働いて神のわざ
が現れる。心が変えられる。神の奇跡だ。