2008年01月19日(土)

「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ・・」ルカ8:18

単に、御言葉を聞いていればよいとい
うものでなく、聞き方に注意せよと言
われている。イスラエルの民は皆、
モーセから神の言葉を聞いていた。し
かし、聞いた言葉が信仰に結びつけら
れなかったため、最後まで神を疑い、
心を定める事無く、結局は不信仰によ
って滅ぼされてしまった。モーセは神
の言葉を語った。聞く側に問題があっ
た。種蒔きの例えで、種は御言葉で、
土地は心だ。道ばたに落ちた種は土が
固く、心に入らず、サタンが来て御言
葉を持ち去った。先入観や偏見の固い
心だと、御言葉が入らない。又、他人
事として聞く態度だ。自分の事として
受け取らないので素通りして、心に入
らない。傍観者として御言葉を聞いて
いないだろうか。態度は大切だ。御言
葉は自分に向けられた言葉として受け
取らない限り、何の益も無い。自分の
事として聞く心が良い地だ。必ず豊か
な実を結ぶ。岩の上に落ちた種とは、
喜んで御言葉を聞くが、根が無い。根
が張るのは地中においてだ。隠れた神
との関係が大切で、人目に見えない祈
りや御言葉の地道な交わりが根だ。い
ばらの中の種は、外側から伸びたいば
らにふさがれた。外部のものによって
成長が妨げられる。世の事に心が奪わ
れて神がおそろかになってしまう。自
分はどう御言葉を聞いているか、省み
てみよう。聞き方は大切だ。
・・・・・・・
御言葉は、主の愛だ。厳しい言葉も愛
だ。御言葉は蜜よりも口に甘い。御言
葉が心の思いとされたらどんなに恵み
だろう。御言葉を愛して、主よお語り
下さい、しもべ聞きますの態度で、大
切に受け取ろう。