2008年10月19日(日)

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり・・」イザヤ55:8

例えば30階のビルの入口に立って、地上からビルを仰ぎ見る時、そのビル
と近隣が見えるだけだ。しかし、ビルの最上階から景色を見るなら、地平線
まで見える。遙か彼方の景色まですべて展望できる。

有限な私たちは地上で見ているごとく、ほんの少しの目先の情報でしか、物事
を考えられない。
様々な計画を立てるにしても、近視眼的にしか見えていない。遙か先の事は
全く見えないし、明日の事すらわからない。

しかし永遠であり、無限であり、全知であられる神はどうだろう。
明日も、私たちの将来も、行く道も何もかも完璧にご存じだ。私たちよりも遙か
先を見た上で、今の状況を導き、配慮して下さっている。

自分はこの考えは絶対だ、この計画は絶対だと思う。そして自分に関わる状況を
見つつ、最高の結果を期待し、自らが立てた計画通りに事が運ぶよう願う。

しかし、その通りでなく、思い通りにならないと焦り、イラ立ち、不安になり
思い煩う。
が、遙かに高い神の前では、自分の計画は絶対ではないかも知れない、その
へりくだりが必要だ。

しばしば神のみ思いとは大きな違いがある。
神は私たちの事も、将来も、周囲の事すらも配慮し、最善をして下さる。

そして全主権を持っておられる神は「愛」だ。
今思い通りでない事態を、その愛なる方が最善へと導いておられる事を
信じよう。
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自分の思い通りに事が運べば「愛されている」思い通りでなければ、「愛さ
れていない」ではなく、光を造られた父から下るものが良いもの、完全な賜
物だ。自分の思いと違う「良い贈り物」を受け取ろう。