2009年01月18日(日)

「それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった」マタイ2:3     

                    

星に導かれた東方の博士たちが、エルサレムに到着した。そしてユダヤ人の王は
どこで生まれたかと聞いた時に、ヘロデ王は恐れ惑った。

新しい王が誕生するなら、ヘロデは自らの地位が危うくなる事であり、恐れ惑う
のはわかる。が、「エルサレム中の人も王と同様であった」。なぜエルサレム中
の人々も恐れ惑うのか。

彼らは別にヘロデなど、どうという事なく、真の王として認めているわけではな
い。逆らえば、身に危険が及ぶから、うわべだけ言うことを聞いている。脅威で
も何でも無かった。

ところが、新しい王の誕生は脅威であった。恐れと不安を抱いた。神から遣わさ
れた王なら、ヘロデごときでない真の王であり、自分たちは真実に従わなくては
ならない。脅威と不安を覚えた。

私たちは、エデンの園でアダムが罪を選んで以来、古い罪の性質が宿っている。
それは本質的に自分が王であり、主人でありたい。自分の上に「主」を置くのが
嫌なのだ。従いたくない。

ヘロデになら真に従っているわけではない。形だけであり、心では自分が王であ
り主人だ。王でおれる。しかし真の王は違う。

私たちはどうだろう。命を捨てられた主を前に、自分が王であり続けるか、御前
にひれ伏して、主に王座に来て頂くかだ。明け渡す時喜びが満ちて、大海のよう
な平安を経験して行く。

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真に主に向き合っているだろうか。ヘロデに対するのと同様に、形だけであり、
ごまかしたり、あいまいにして、避けて逃げているだろうか。あいまにして、見
たくない自分の内側を、光で照らすために来て下さった。光に向いて行こう。