2009年02月16日(月)

「あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の約にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです」マタイ5:13



塩は料理に不可欠だ。料理を美味しく味つけする。塩気の無い料理はどうだろう。食べられたものでない。又、防腐剤にも使われ、腐敗を防ぐ。

主は私たちは地の塩だと言われ、塩の役割を願っておられる
。家庭や職場、学校で塩の役割を果たすよう期待されている。

塩味をきかさないとは、どんな姿だろう。御言葉に従うのではなく、自分の都合優先で、御言葉を自在に曲げて、自分の都合に合わせる。

この世と摩擦がないように、衝突しそうな時は、御言葉を引っ込める。波風立たないようにうまくやって行こうとする。そのため信仰を出さない。

摩擦が起こらないようにしているから、事態はスムーズに行く。妥協に妥協を重ね、何の塩気も無くなってしまう。証しが立たなくなってしまう。

塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのか。何の役にも立たなくなってしまう。

又、塩が強過ぎると、あわれみも愛も無い律法主義になってしまう。完全に正しいのだが、人も自分も苦しく辛くなる。相手に要求して、責めて裁いてしまうし、自分も常に基準に達する事はないので、苦しいばかりだ。

そこに愛がないので間違っている。御霊に従って歩む時、それは愛の歩みであり、自然に塩けのある歩みとされる。
------------------------
よい塩加減を効かせるためには、いつも神様とともにいる事が大切だ。私達の語る言葉が、その動機が、いつも神様のみこころに叶ったものでありますように。