2026年04月14日(火)

「皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりに なると、私は神によって信じています。私たちは必ず、どこかの 島に打ち上げられます」使途27:25



パウロは囚人として、海路でローマへ行く事になる。途上で、航海
はもう季節的に危険だと主張したが、皆により、クレテの港に行き、
冬を過ごす事になった。それで出帆すると、案の定、何日もの激し
い暴風に巻き込まれ、船はほんろうされた。積み荷も船具も捨てた。
太陽も星も見えない日々が続き、身の危険を感じ、事態は絶望的で
あった。最後の望みも断たれようとしていた。

しかしパウロは確信もって「いのちを失う者はひとりもありません。
失われるのは船だけです」と告げた。主は、クリスチャン人生、失
うものは何もない、とは言われない。ヤコブも「私も、失うときに
は、失うのだ」と言った。私たちは信仰生活で、様々失うものがあ
るだろう。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」
と。

しかし様々な時に、失う事はあっても、必ず私たちは御手の中に堅
く守られ、クリスチャン人生を全うできる。船を失う事がある、と
いう事実を覚えよう。だが、パウロたちが救われたように、私たち
も必ず守られ、確実に安全な島に打ち上げられる。普通、得る事は
喜びで嬉しいが、失う事は辛く、痛手だ。

しかし振り返った時、あの時、この時の損失、それにより自身が練
られきよめられ、成長させられ、今の自分がある。あの損失が無け
れば、今の自分は無いのではないだろうか。損失は必ず通るが、思
いを遙かに越えた大きな祝福に至る。船を失う事があるが、豊かな
霊的祝福が与えられる。
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様々な嵐にもまれ、幾度も試練を経験するが、主に望みを置いて歩
みたい。信頼する者を、主が必ず大きな祝福をもって導いてくださ
る。主と共に乗り越え、たどり着く陸地を経験したい。