2026年04月13日(月) 「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのため に自分のいのちを失う者は、それを救うのです」ルカ 9:24
「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのため に自分のいのちを失う者は、それを救うのです」ルカ 9:24
神に出会うまでは、私たちは、神無しで生きて来た。そのため、 根深くこの世の価値観が培われている。生まれつきの性質は、どこ までも軸が自分にあって、自分軸で考えてしまい、自己中心だ。し かし肉は、そうしか考えられない。それが普通で、当たり前で生き て来た。だからどうしても、新生した後も「自分のための神」にな ってしまう。 自分が中心軸にいて、自分が幸せになるための神、自分が困らない ための神、自分が助かるための神、その底は、どこまでも「自分」 であって、自分のために、神が存在することになる。しかし、そこ には真の喜びである「御霊の喜び」は無い。自分のための神でなく、 神のための自分だ。自分が中心で、世界が回っているのでなく、自 分の方が、神のために回っている。 自分を中心でなく、主を中心に据える時に、すべての事が正しく秩 序立って、進んで行く。そして試練もあるが、何があろうと、揺る がされることがない。あなたは、自分のために、神があるだろうか。 それとも、神のために、自分があるのだろうか。人は、誰しも心の 底から「喜び」や「平安」を求める。喉から手が出るほど、「喜び」 「平安」が欲しい。 それが、自分の欲望が満たされた時に、喜びが来ると勘違いする。 しかし、それなら、どこまで行っても真の喜びは無く、心はますま す渇くばかりだ。一時の快楽はあるが、決して満たされる事は無い。 自分の欲望第一でなく、主を第一にする時に、主が喜ばれることを 求めて行く時に、初めて、「喜び」と「満足」を経験する。 ----------- 欲望が満たされた時だけ、主が近くにいるように思えるが、それなら いつまでも焦りや不安がつきまとう。何と不信仰だろう。思いを主に 明け渡し、主の御心を祈れるように変わりたい。