2024年04月12日(金)

「すると、主はろばの口を開かれたので、ろばがバラムに言った。 「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」 民数記22:28



ろばが、しゃべったという有名な箇所だ。バラムがろばに乗ってい
たが、ろばが立ち止まった。だが実際は、主の使いが、ろばの前に
抜き身の剣を持ち立ちふさがったのだ。そのため、ろばは進めず、
うずくまってしまった。バラムは怒りでろばを3度打つと、ろばは
抗議した。

その時、主の使いが「敵対して出て来たのはわたしだ。あなたの道
がわたしとは反対に向いていたからだ」と言った。阻止は、主であ
った。私たちは苦しみや痛い事は避けたい。何とか逃れたいと思う。
しかし主は、私たちが間違った方向へ進む時、行く道を阻まれる。
立ち止まらせるためだ。それは、主の取り扱いだ。

そこに関わる相手や周囲を責めるのは、ろばを責めるのと同様で、
主の取り扱いを認める事が大切だ。その状況の中で、主のメッセー
ジを受け取ろう。何を教え、何に気づかせたいのか。もし今、あな
たの行く手が阻まれているなら、状況に右往左往でなく、まずそこ
に主を認めよう。主が立ちはだかっておられる。御心は別の道なの
だろうか。

主はバラムに「彼らと一緒に行ってはならない。その民を呪っても
いけない。祝福されているからだ」と言われた。しかし強行に出て
行くバラムに、主の使いが立ちはだかった。目の前に主の阻止を認
め、自分の思いを通すのでなく、そこで主の御心を尋ね求めよう。
幸いなベストの道に導いて下さる。
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目の前のものに曳かれて何処までも行ってしまう、迷いやすい者だ。
主は導き返してくださる。立ち止まらされるとき、主に祈り、間違
いであれば引き返そう。御心を歩みたい。