2026年10月15日(木) 「・・なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すから です」ルカ6:45
「・・なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すから です」ルカ6:45
こんな御言葉がある。死と生は舌に支配され、どちらか を愛して、その実を食べる。私たちは単純に善を愛して、 悪を憎んでいると思っている。悪を憎んでいるのだが、 まだ罪の性質があるゆえ、罪にはまってしまう事で悩ん でいると。しかし御言葉によると、死を愛する心がある と言っている。罪を本当は憎んでいるのではなく、愛し ていると。 例えば、自分を傷けた相手、又、自分に敵対し、中傷す る相手を憎んでしまう。憎むのは、自分が苦しいし辛い。 だけれども憎しみが募る。だが心の底の底を探られると、 憎みたくないのでなく、強烈に憎んでいたい。赦せない のでなく、赦したくない自分がいる。どうしようもない 自分に、自我に行き着く。 古い罪の性質がある。だがそんな時こそ、主の十字架、 主の流された血潮が、頭ではなく、現実味をもって迫っ て来る。まさにこのために、この自分のために、主はみ 身体が裂かれ、血を流されて苦しまれたのだと。自分の 罪が見えて、十字架の赦しがわかる。そして舌は死と生 を支配すると。言葉は種であり、蒔いた結果「その実を 食べる」。良い言葉は良い実を、悪い言葉は悪い実を結 ぶ。 死か命の実を結んでしまう。否定的、批判的、懐疑的な 言葉の種を蒔くか、肯定的、建設的、信仰的な言葉の種 を蒔くか、日常で語る言葉は非常に重要だ。日々どんな 言葉を、口から出しているだろう。内側が御霊に支配さ れる事を求め、発する言葉が御霊に導かれるよう祈って いよう。良い実を結ばせて下さるように。 ------------- 心の中のものが外に出て行く。死の実を結ぶ言葉なら、 周囲も自分も損なっていく。罪を愛している自分を認め、 主の十字架に持って行きたい。内側を御霊に支配してい ただこう。