2001年09月17日(月) 「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって」(Uテモテ4:3)
「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって」(Uテモテ4:3)
「聖書はすべて、神の霊感によるもので 教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有 益」とあるが、一人の婦人が今までの聖書 の読み方の間違いを正された。 彼女は自分勝手に聖書を読んでいた。 自分の好きな箇所だけを毎日読み、痛い所 都合の悪い箇所はすべて飛ばして読んでい た。聖書を自分勝手な信仰を支えるために 用いたので、聖書から何も教えられないし 戒められる事も、矯正される事も訓練され る事も何も無かった。自分の都合の良いよ うに読んでいただけだった。「聖書は霊感 を受けて」いる事に目を開かれ、御言葉を 自分に合わせるのでなく、自分を御言葉に 照らし出していた。自分の態度が変わった 時、御言葉は生きたものとなった。罪を気 づかせ、神の約束を与え、指針を示し、模 範を示してくれた。自分が変えられるよう 祈り始めた。自己中心の自分ではなく神中 心へと成長させて下さっている。