2009年10月18日(日)

「神よ。あなたは私を探り、私を知っておられます・・私の思いを遠くから読みとられます」詩編139:1

人は、人前では、「いえいえ、私などは・・」と腰を低くする。上座には決して
座らないし、下座でうろうろし、皆で座を譲り合う。

「私は足らない者で・・」「愚かな者で・・」と言うが、もし、人から「ほんと
にそうね」と言われたら、どうだろう。カチン!ときて、腹を立て「あんたにだ
けは言われたくない」となるだろうか。卑下も自慢の内だ。

心底思っていたなら、認め、同意するはずだ。しかし、実は足らないなどと思っ
ていない。又、人が、自分から上座に座るのを、見たらどうだろう。「なんとい
う人だ」と思うだろうか。口では、へりくだるが、心では思っていない。

劣等感にさいなまれている人々がいる。劣っている事自体は、別に、悪くも何と
もない。これから学んで行けばよい。しかし、劣等感で悩む人々は、しばしば、
自分が劣っているとは思っていない。

自分は能力があるのに、他人がそれを認めてくれないことに鬱屈する。悶々状態
になる。そして、実はその醜い高慢やプライドを見たくない、認めたくないがた
めに、劣等感だという事にして逃げ込む。

神がキリストのゆえに、受け入れ、愛して下さっているのは、その底の醜い、見
たくもない、自分が嫌な自分だ。「すべての照らすまことの光」隠れた部分を光
に出し、そこを癒し、解放し、真の喜びと安らぎを下さる。

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心の奥底の自分は、自分が思っているのとは、まるで違う。しかし、神は、イエ
ス様の十字架において、すでに解決を与えて下さっている。神が見ておられるよ
うに、見せて、認めさせて下さり、自由にして行って下さる。