2010年02月15日(月)

「あなたは自分の心を神の心のようにみなしたが、あなたは人であって、神ではない」エゼキエル28:2



私たちの信仰生活から、平安と喜びを奪うのが、プライドという罪だ。隠れているのでわからないし、気づかない。種々の問題の根にプライドがある。

エデンの園で、アダムとエバは、サタンに誘惑されたが、その誘惑はプライドに触れて来た。それを食べると、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになると、神は知っている。神はそれが嫌なのだとのニュアンスだ。

何で、神に言われなきゃならない?命令されなくてはならない?サタンは挑んで来た。あなたが神になれば?神になど命令されずに、自分の事は自分で決めたらよい。プライドだ。プライドは人の上に立ちたい、支配したい。自分が上でないと気が済まない。

サウルは、女たちが歌った言葉に、プライドがひどく傷ついた。「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」「サウルは千を打ち」だけなら良かった。何もどうもなかった。「ダビデは万」が入ったことで、比較となり、自分が一番でない事に、自分が劣ることに、まして女たちに、それも笑いながら言われた事に、激高
した。プライドが赦さない。妬みは激しい憎悪となり、実際に殺害行動へと発展して行く。

あなたの怒り、妬み、憎しみ・・よく心を御霊に照らされるなら「プライド」へと行き着く。根にプライドの問題がある。まず自分の姿を知る事が平安への一歩だ。それを認めて悔い改める時、自由にされる。
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あなたの心は自分の美しさに高ぶり、その輝きのために自分の知恵を腐らせ・・わたしはあなたを地上の灰とした。と続いて記されている。私達の中に高慢な自我が強く生きている。何に満足しているのかを神様によく示されますように。