2010年03月18日(木)

「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」ヨハネ6:26



主が、五つのパンと二匹の魚で奇跡をされ、大勢の人々を満腹させられた。すると、群衆は主をかつぎ上げ、王とするために連れて行こうとした。それで主はそれに乗られず、ひとり、山に退かれた。

人々は主の奇跡を見、パンで満腹した時に、神をほめ「この方こそまことの預言者だ」と言ったが、しかし主はその心の内をご存じであった。群衆は主の教えに従いたいと思ったのではなかった。主について行けば、パンの心配がない、ずっと良い暮らしができる、そのために主を利用したかっただけだった。

私たちも自己充足のために、自己実現のために、主を利用しているだろうか。何のために主に従っているのだろう。主は満腹を下さる。自分の願い通りになり、自分の欲望が満たされる。しかし、その欲望が満たされると、自分の欲望充足のために、主のもとにいて、願望が叶えられている間はついて行く。が、一旦、自
分の願望が叶えられなくなり、思い通りに行かなくなると、主を離れる。

主は必ず必要を与え、必要を満たして下さる。必要を与えて下さるのであって、私たちの思い通りに動かれるのではない。人々が主を「むりやりに連れて行こうと」した時に、主は退かれた。今、無理やりに、自分の願いを通そうとして、自分を見失っていないか。主は愛をもって軌道修正して下さる。
--------------
主は物質的な必要を与えて下さると同時に霊的な成長、成熟を与えて下さる。思い通りの物が欲しくて付き従っていくだけでは、主を知る事はない。自分の思いを捨て主が与えて下さる本当のいのちのパンを日々受け取っていこう。