2010年06月17日(木)

「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です」Uコリント9:8


有名な例えがある。死海は、水が溜まるばかりで、出て行く所がない。死海から流れ出る川がない。一方的に受けるばかりで、溜めるばかりだ。流れ込む水は大量蒸発する。それで、死海の塩分は濃くなる。この塩分濃度のため、魚が生息できない。周囲も砂漠で緑がない。

又、ガリラヤ湖は、フーレイ湖から流れて来る水を受け、溢れた水をヨルダン川に流している。常に水が流れていてガリラヤ湖の水は生きている。そのため色々な魚類が生息している。周囲も緑が豊かだ。受けているばかりだろうか。受けているだけなら、腐って来る。与えられたものを、次に流すと、又、与えられて、いつも新鮮で、生き生きと喜びが流れる。

与えられた恵みを証しすると、自分自身にも喜びがあり、又、恵みが増し加えられる。自分に与えられているものについてどうだろう。時間、富、労力、賜物・・自分だけのものにして、握りしめていると、腐って来る。それを神に、人に献げて行くと、必ず与えられ、増し加えられ、喜びの流れが止まることがない。

人生何のために生きているのだろう。蓄えるためか?それとも神の素晴らしさを知るためか?溜め込んで、喜びも平安もなく、煮詰まっていないか。神の御心にそって、持てるものを手放し、献げよう。御霊の喜びが臨む。
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神様から全てを与えられ、またそれを惜しまず次に渡して行きたい。受けるより与えるために神様は、このからの器に溢れるばかりに恵んで下さっているのだ。からになった時にまた豊かに与えられる神様を少しでも知っていこう。