2010年07月18日(日)

「鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか」イザヤ2:22



私たちはどうしても人の目が気になり、他人の評価を気にする。心の底に人に認
められたい、評価されたい、受け入れて欲しい、愛されたい、との強い願望があ
るからだ。

「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」とある通り、私たちは生まれつき人
の愛が欲しい。これは普段、認識していないだけで、自分が思っている以上に強
い。

だからこそ人の目を気にし、愛される事を求める。これが高じて行くと、人目を
気にして、嫌われたくないので、人の顔色ばかりを気にし、「ノー」が言えなく
なる。生き生きと御霊の自由の中で、自分らしく生きる事ができない。

対人関係で、なぜ傷つくかと心を探ると、人に認められたい、評価されたい、人
からの賞賛が欲しい、それが根深くあり、そこに触れるから、認められず、評価
されないと、深く傷つく事になる。

しかし、自分の判定を他人にさせてはならない。人に自分の価値を決めてもらう
のは間違っている。人に依存している事になる。心が傷つく時に、それはどこか
ら来ているのかよく考えてみよう。

人依存が原因かも知れない。人に受け入れて欲しいと願うのではなく、神の愛に
しっかり依存しよう。神依存こそが、人が自立するという事であり、ここには裏
切られる事も、失望落胆も絶対に無いからだ。

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他人の評価を求めて行くと、人にコントロールされる事になる。対人関係で人を
妬んだり、憎んだりする事も、結局、人に自分の人生をコントロールされている。
支配されてしまっている。そうでなく、神の評価に立ち、神と自分の関係で生き
る時、どんな中でも、自分の心は平安だ。