2010年09月17日(金)

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩編46:10


私たちは目まぐるしい忙しい時代に生きていて、過多なる情報に振り回され、落ち着きの無い生活になっている。スピードを要求され、次から次へと仕事をこなさなくてはならない。余りにも忙し過ぎて、主の御前にも落ち着きの無い日々になっていないか。あたかも忙しい事が、良い事のようで、寸暇を惜しんで動き回
る事に、自らの存在価値を見い出す。そんな中で、主は「静まれ」と言われる。

事が起きた時に、「自分で動き回らず、まず静まれ」と。静まる事は簡単ではない。肉は、何かが起きた時に、まず解決しようとし、思いを巡らし、動き回る。
しかし、どうにもならず壁にぶつかり、思い煩い、不安と恐れに、どっと落ち込む。まず心を騒がせる前に、動き回る前に、「静まれ」と主は言われる。

この「静まる」事がないなら、焦って、空回りし、感情的に思いのままに、軽率に決断し行動してしまう事になる。肉で判断し、肉で動く事になってしまう。うすうす自分でも、これは違うのでは??と思っている。どのような問題であれ、まず主を仰ぎ、祈り、問題を主の御前に持ち出し、御言葉を求め、主のお心を求
めて行くことだ。

主がその問題を受け取り、あなたに御声をかけ、なすべき事を導いて下さる。事が起きた時、方策を巡らせそうになるなら「やめよ」まず静まって「わたしこそ神であることを知れ」。
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すぐに解決しようとするから振り回されてしまう。事が問題ではなく、問題を解決される主のご臨在をいつも覚えていたい。静まり主に尋ね、解決を与えられるまでじっと待つ経験を重ねて行きたい。