2010年10月18日(月)

「あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない」エステル4:14



エステルの物語は不思議だ。一つ一つの出来事がパズルのようにつながって行く。王妃ワシュティが退けられた後、エステルが王妃とされた。ハマンのユダヤ人への悪巧みをモルデカイが知った。モルデカイはエステルに王にあわれみを求めるよう伝えた。エステルの宴会への誘いを王は受け入れた。

その夜、王はたまたま眠れなかった。それで年代記を読んだ。そこでたまたまモルデカイの功績を知った。王はモルデカイに栄誉を与えようとした。王はエステルの願いに耳を傾け聞き入れた。どの一つが欠けても、結果が全く違ったであろう。ハマンの悪巧みは成し就げられ、ユダヤ人は虐殺されただろう。

ここに完璧に状況を支配しておられる摂理の神を見る。ルツの物語もしかりだ。ルツがナオミについて帰国したのが、丁度大麦の刈り入れの時だった。生計のため落ち穂拾いを始めると、ボアズの畑であった。又、丁度その時、ボアズがやって来た。

私達には偶然は存在しない。一つ違わず神の導きであり、神の配剤だ。神の配慮が私達の生活に張り巡らされている。過去を考える時、あの時も、この時も、時ピッタリの不思議な取り計らいを見い出す。完璧な御手の支配の中にある事を覚える時、思い煩いはいっさい不要だ。神のご計画がなされている。
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明日の事は見えないけれど神様の摂理の中で生かされている。目に見えないけど今を感謝し、満足し、必ず益とするご計画の中に置かれている事を忘れず、今日、示されたことに一歩従って行こう。