2010年11月17日(水)

「絶えず祈りなさい」Tテサロニケ5:17



時間を取っての日々のデボーションは必要であり、大切であるのは、周知の事実だ。心を余すところなく打ち明け、主に聞いていただき、又、主の御声を聞く事は無くてはならないものだ。しかし、同時に、残る他の時間も、絶えず祈り心で生活することは祝福だ。生活の中で、常に、主と対話をすることができる。

ずうっと短い祈りを献げ続けることができる。道を歩きながら、食器を洗いながら、掃除しながら、頭を使わない雑用の時も、主と祈りで対話すると良い。生活を祈りで満たして行ける。悩みや困難が起きた時、まずその場で短い祈りを主に献げる。主はその問題と共におられる。

主は家庭にも、職場にも学校にも、どこにでも、あなたと共におられる。心の中で良い。絶えず主と対話して生活しよう。家事に育児に農作業に多忙で、時間の無い主婦は、どうしても必要な草刈りをしつつ、主との交わりの時とした。
作業終了時には、心が満たされ、喜びに溢れていた。

忙しいサラリーマンは、昼食後のしばしの時間を屋上で主と交わった。御霊に触れ、午後の時間は喜び持って仕事ができた。学生は通学途上の電車の中を祈りの時とした。時間を聖別して、じっくり主と交わる事は必要であり祝福だ。同時に、短い数々の祈り、主との対話を一日中できる。
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絶えず神様を意識して交わっているなら一日中心は平安に守られる。人に向かってつぶやいたりサタンの声を閉め出す事も出来る。絶えず祈ろう。そして自分の心の声を神様に聞いていただこう。