2010年12月18日(土)

「わたしは人からの栄誉は受けません」ヨハネ5:41



私たちは、誰しも人に認められたい、評価されたい欲求がある。小さな子供は、
いつも親に「見て」「見て」と注目を集める。私たちの、人に認めて欲しいとい
う欲求は根深いものがある。そのため、人の評価を得られない時に、大きなスト
レスとなる。

この部分に、サタンは巧妙に、狡猾につけ込み、誘惑して来る。主が荒野で誘惑
を受けられた時に、サタンは、神殿の頂から身を投げるように誘惑した。御使い
が助けに来て、皆の前で、ヒーローになれると。世界の注目の的になり、人気を
博した上で、人々を救えばいいではないかと。人々は大喝采だと。

人々から注目を浴びる快感は大きな誘惑だ。誰しも、人の前で良い格好したいし、
賞賛を受けたい。主イエスにも来た誘惑だ。私たちの心に、サタンのこの誘惑が
来た時に、御霊が気づかせて下さるように。人の評価を求めるところから、神の
歓心より人の歓心を得ようと、方向がずれる。

そこに、虚栄心、プライド、優越感や劣等感が、むくむくと頭を出してくる。そ
して常に人が気になる。神から目を離すと「比較」の中でしか自分を量れないの
で、人が基準にならざるを得ない。その中で劣等感と優越感にがんじがらめにな
る。
主に焦点を合わせる時、自由にされる。まず、人の賞賛を求めている自分に、気
づくことから始まる。

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神無しでは、自分を量るためには人しか無い。人との比較による差異でしか量り
ようがない。主から目を離した途端、人が目に入り、そこから方向違いに陥り、
平安が失せる。「あなたは、わたしに従いなさい」横でなく縦に目を上げて今日
も従おう。