2011年02月15日(火)

「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう、必ずそれができるから」民数記13:30


モーセの導きのもと、イスラエルは出エジプトを果たした。そして、カナンに向かった。その時に、12人の斥候がカナンの地を偵察した。彼らは戻って来て、10人は「無理、不可能だ」と言い、2人は「大丈夫だ、占領できる」と言った。10人は、現地の民は自分達より強い、民は脊が高く、自分達はいなごのようで
あり、自分達は敗北する。上れないと言った。

全会衆は、10人の言う事が妥当に見え、そちらについた。大声で泣き明かし、エジプトに帰ろうと言い出した。まるごと不信仰に陥った。斥候12人は全く同じものを見た。だが、カレブとヨシュアは、なぜ「ぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずできる」と言えたのか。

その根拠は自分達の判断、思いではなく、神が、その地を与えると言われたからだ。信じたカレブとヨシュアは約束の地に入り、民は皆、荒野で滅ぼされてしまった。何が信仰であり、何が不信仰なのか。カレブとヨシュアは見える所でなく、現状でなく、神と神の語られた御言葉を見た。

10人の斥候は、目に見える所、現状と困難だけを見た。ここが違った。神を通して状況を見るか、状況だけを見て神が飛んでしまうか、の違いだ。あなたは今、御言葉を見ているか、困難な状況を見ているか、どちらだろう。
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ネガティブな思いが来る時、視点を御言葉に置こう。どんな時にも神様の約束から現状を見よう。その時に心の領域が闇から光に変わる。神様に感謝し喜び力がわき、目に見える生活が変わる。