2011年05月18日(水)

「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる」ローマ12:19


私たちの中にある罪の性質は、悪に、悪で仕返しをしようとする。攻撃されたら、報復する。何か言われたなら、言い返すと、すっきりする。悪口や批判をされると、倍返しをしたいと思う。でなければおさまらない。しかし、この復讐は、ますます怒りを増幅させ、互いの間を裂き、破壊し、憎悪や敵対心の連鎖を生み、やられたら、やり返し、とどまる事がない。行き着く先は死だ。これは誰しも経験がある。

人への恨みや憎しみは相手でなく、自分自身が苦しい。心が辛くて、片時も平安がない。時々報道で、事件の被害者を見る。いかばかりの苦しみと痛みの中かと、その激しい憎悪と敵意で歪んだ表情は、その人自身の心をも壊してしまい、人生を破滅させるのではと思わせられてしまう。神は、自分で復讐をするな、と言わ
れる。神の怒りに任せよと。復讐は神のされることであり、神が正しく裁かれると。神は必ず正しい裁きを下される。

憎しみと敵意は、ただちに信仰者から平安を奪う。あなたも人を憎んで、苦しい悶々状態を経験した事があるだろう。それは牢獄の中だ。なぜ平安が失せるのか。神に対して、人を憎むという罪を犯したからだ。相手はあなたに、何をする事もできない。あなたから平安を奪う事はできない。「人から出るものが、人を汚す」自分の罪を認める時、心に平安が戻る。誰もそれを奪うことができない。
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言い返したい、すっきりしたいと肉は思う。言い返せなければまた、情けない自分と自己憐憫にも襲われる。憎しみの思いが来たならすぐに相手から目をそらし、自分が罪を犯さないように主に告げよう。すべて告げよう。