2011年06月17日(金)

「あなたに何を与えようか。願え・・善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」T列王3:5


神はソロモンに、何でも与えるから、何が欲しいか、願えと言われた。その時に、民をさばくために善悪を判断できて、聞き分ける心を求めた。その求めは神の御心にかない、知恵と判断力を与えられた。それだけでなく、同時に富と誉れをも与えられた。ソロモンの願いが叶えられたのは、自己中心な欲望を求めたのではなく、神の御心にそっていたからだった。

「神の国とその義とを第一に求めるなら、それに加えて、これらのものはすべて与えられる」との御言葉の通りだ。自己中心でなく、神の心にそった求めは叶えられる。御心にそった求めができたのは、ソロモンが主を愛し、主を礼拝していたからだ。神を愛し、従おうとの心がある時、神の心にそった求めをして行く。

なぜなら、神を愛しているので、平素からの、主との地道な親しい交わりの積み重ねの中で、主のお心がわかって行く。そして、神の心にかなった願いは、必ず叶えられる。すぐ後に、二人の遊女がソロモンのもとに訴えて来た。どちらもが、子供を自分の子供だと主張した。ソロモンは、神からの素晴らしい知恵をもって、真の母親を言い当てた。

ソロモンの裁きは、神の知恵によって行われた。まさに彼に神の知恵が宿った事が証明された。私たちにも、「願え」と言われるなら、あなたは何を願うだろうか。
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神の御心の前に、自分の願いがあれやこれやと前に出る。感謝を持って、まず神の国とその義を先に祈り求めたい。必要なものはみな与えられるのだから。