2011年08月18日(木)

「イエスは『来なさい』と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩 いてイエスのほうに行った」マタイ14:29

海上歩行の箇所だ。嵐吹きすさぶ中、湖の上を歩いて来られた主に、「私に水の
上を歩いてここまで来いと、お命じになって下さい」と願った。ペテロは、主の
お言葉さえあれば、水の上を歩けると信じた。ペテロの信仰だ。

すると主は、「来なさい」と御声をかけられた。御声を聞いたペテロは、舟から
出て水の上を歩いた。普通に考えるなら、あり得ない事だ。人間が水の上を歩く
など不可能だ。しかし、ペテロは歩いた。

どうして歩けたのか。それは、「来なさい」という主の言葉があったからだ。ペ
テロは主の言葉ひとつあれば、できると信じていた。だからこそ「ここまで来い
と、お命じになって下さい」と言った。そして、その主の言葉に従ったので歩く
事ができた。

もし主の言葉が無ければ、ペテロが歩いたとしても、歩けずに沈んだ事だろう。
主の言葉があり、そこにペテロの信仰による従順が一つになった時に、奇跡は起
きた。私たちも、信仰人生は、この世で、水の上を歩くようなものだ。私たちの
確固たる基盤は、目に見えるものではなく、主の言葉だ。主の言葉によって生き
ている。

主の言葉に従って行く時、どんな困難な中でも、前進して行ける。主の言葉と、
あなたの従順がある時、そこに主のみわざが現れる。「来なさい」との御声を聞
いたなら、一歩踏み出そう。状況に関係無く、歩いて行ける。主のわざが現わさ
れる。

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「来なさい」と御声をかけられる主は、日々の生活で、いのちの言葉を語りかけ
て下さる。主を信じ、御声に従ったペテロだけが、水の上を歩くという大きな奇
跡にあずかった。今、御声を聞いていたら、勇気を持って一歩踏み出そう。