2011年09月17日(土)

「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか」詩篇1 21:1  

       
都上りの歌となっていて、エルサレムへ巡礼の旅に出る時のものだ。「山に向か
って目を上げる」は、これから登って行かねばならない、困難な難しい山々だ。
エルサレムは遙か彼方であり、幾つもの山々が行く手を阻んでいるかに見える。

当時の人々の旅は、今では想像もできないほど困難で危険なものであった。今の
ように、ちょっと都へというわけに行かない。旅の途中で病気になれば命にかか
わる。又、強盗等、身にどんな危険があるやも知れず、無事に帰れるかどうかも
わからない。そのような中で何が助けになるのか。

エルサレムへの都上りは、膨大な困難を前に「私の助けはどこから?」との問い
になり「私の助けは、天地を造られた主から来る」と答えが来る。計り知れない
困難はあるが、その山を造られたのは主だ。すべての状況も主の御手の内だ。

「助けは主から来る」私たちも今、行く手を阻む困難の山があるだろうか。又、
突如のアクシデントに見舞われる。突然の病気、けが、事故。経済的困窮、苦し
い対人関係、又、誰にも言えない悩み・・まさに「私の助けはどこから来るの
か」状態だ。そこに明確な答えがある。「主から来る」。

主からの完璧な愛と配慮、助けが臨む。それは天地を造られた主であり、すべて
を支配しておられる方だ。目の前の事態を祈ろう。どのように助けが来るか主に
期待し、楽しみに待とう。

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どうにもできない問題、悩みが立ちはだかる時、「私の助けはどこから来るのだ
ろうか」状態のまっただ中で、「私の助けは天地を造られた主から来る」。主か
ら来ると断言している。状況でなく、困難をも支配しておられる主を見上げよう。