2011年10月18日(火)

「彼のことばがそのとおりになる時まで、主のことばは彼をためした」詩編105:19


神から約束をもらい、私たちの願いやビジョンが主の御心であったとしても、即、スムーズに成就するのでなく、試練を通りながら、試されながら、実現して行くと言っている。今までも経験した事だろう。御心に従ってるのに、何で??うまく行かないのか?と驚き怪しむが、従う中で悩みや苦しみを通る。

御心を行なうなら、神に従っているのだから、当然、何もかもがスムーズに、順風満帆に行くはずと思っていないだろうか。それで、問題に出くわすと、戸惑い、怪しみ、これは御心では無かったのかと思ってしまう。しかし、御心を間違ったのではなく、成就するまでに、紆余曲折がある。主の約束は、「試し」となって私たちに臨む。

忍耐を試されるし、又、私たちの心に潜んでいて、普段は現れることなく、気づかない様々なものを見せられる。霊に憑かれた息子の父親が、主のもとに来た時に、「できるものなら、と言うのか、信じる者にはどんなことでもできる」と言われ「不信仰な私をお助け下さい」と叫んだ。不信仰を認めて、主に助けを求めた時に、息子はいやされた。

ヨセフは約束与えられながら、幾多の厳しい試練を通り、患難が忍耐を生み、忍耐が練られた品性を生み、造り変えられて行った。きよめられて行った。主は私たちを訓練される。練られ、信仰を成長させながら、御言葉を成就される。その時、神の栄光が素晴らしく現れる。
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ゴーのサインが出ても自動的に目的の場所まで行けない。躓く度に主の取り扱いを受けることが感謝だ。性急な結果を求めるより、途上で主に教えられ、砕かれ変わりながら多くの恵みを受け目的の地まで行こう。