2011年11月17日(木)


「いちじくの木は花を咲かせず・・しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。 私の主、神は、私の力」ハバクク3:18

ラッキーな事があった時やハピーな時は嬉しく、誰でも喜べる。しかし、ハバククが喜んだのは、最悪の状況の中であった。作物は実りなく、何の収穫も無い、羊も牛も絶えた。何も無い状況で、完全な絶望状態の時であった。先も真っ暗だ。なぜ喜べたのか。「主にあって」「救いの神にあって」とあるように、環境、状況で喜んだのでなく、神にあって喜んだ。

私達も、現状が真っ暗であり、先も望みが無いように見えたとしても喜べる。神に焦点を当て続けるのだ。神はどんなお方かをよく考えよう。益とされる(ローマ8:28)平安と将来と希望の計画(エレミヤ29:11)しようとしている事をご存じ(ヨハネ6:6)ご自分の御子をさえ下さったお方(ローマ8:32)良くして下さらないわけがない。

状況を信じるのでなく、神を信じよう。状況から目を転じて「御言葉」を反すうし、凝視し続けよう。御言葉には霊といのちと力がある。御言葉により、恐れが平安に変わるのを経験する。今、目の前にある出来事に反応するのでなく、内側におられる御霊に、じっと耳を傾けていよう。

神の時があり、神のご計画がある。状況がどうであれ、「主にあって喜び勇み、救いの神にあって喜ぶ」ことを、神は喜ばれる。状況から目を離して、じっと御霊の声に耳を傾け、感謝を献げていよう。必ず主が導いて下さる。
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状況は真っ暗闇だが過ぎてみれば神様の御臨在はいつも身近で、また祝福されていた。その経験が次ぎの悩み苦しみの時にも、結果は喜びで溢れると先取りで感謝を献げていける。