2012年01月18日(水)

「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前には、だれが立ちはだかることができよう」箴言27:4


憤りや怒りも、かなり悲惨だが、妬みは誰もどうにも出来ない、手に負えないものと言っている。妬みはそれほどの、強烈な破壊的力を持つものだ。そして、それは誰の心にもあり、又、自分の内にありながら、気づいていない厄介なものだ。カインは献げ物で、アベルを妬み、殺害にまで至った。ヨセフは父親の偏愛により、兄弟たちの激しい妬みを買った。サウルは、女たちから賞賛を受けるダビデを妬み、それは狂気へと高じて行った。

兄息子は、放蕩三昧をして尚も父から愛情もって迎えられる弟を妬み、怒りで震えた。主は祭司長たちに妬まれ、妬みのゆえに引き渡された。ぶどう園の早朝の労働者も5時の労働者を妬んだ。「あらゆる労苦と仕事の成功は、人間同士の妬みによる」とある。妬みは強烈なエネルギーとなり、様々な分野に成功を収めさせる。しかし、それは虚しいと。

あなた自身のあの行動、この言動、その動機に「妬み」はなかったか。隠れた競争心、張り合いが見え隠れしないか。その「妬み」はどこから来ているのか。心よく探り、主に取り去って頂くよう、祈ろう。祈りは答えられる。祈るなら、主は取り去って下さる。そして、主を見上げ、神の愛と慈しみ、賜物が、自分にも溢れるばかりに注がれていることに、目が開かれ、気づかせて下さる。御霊によって、妬みから解き放たれて行く。
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主を十字架につけたのも激しい妬みからだ。相手が正しく、麗しく、良ければ良いほど妬むから解決は自分にしかない。妬みを覚えたらすぐに認めて、大きな罪を犯す前に主に渡そう。