2012年03月18日(日)

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いに よって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」ピリピ4:6



主は「思い煩うな」と言われる。ことごとく祈れと。そうするなら、人のすべて
の考えにまさる、神の平安が心と思いを守ると。「あすのための心配は無用」、
「ご自身の栄光の富をもって必要をすべて満たす」からと。「わたしは、世の終
わりまで、いつも、あなたがたとともにいる」、これらを、言葉の通りに、その
まま素直に信じたなら、どうだろう。何の心配も無いはずだ。

しかし、現実には、御言葉は吹き飛んで、恐れでいっぱいだろうか。御言葉半分、
心配半分だろうか。信仰は練習だ。目の前の危機、問題の一つ一つを具体的に祈
り求める時、主はその祈りに答えて下さる。主が確かに答えて下さることをを経
験し、その経験を積み重ねる事により、信頼が少しづつ増して来る。以前も答え
て下さった主は、今回も必ず答えて下さるはずだと。

ある人が、収入が全く無い経験を初めてした。主は必ず与えて下さると、周囲が
どんなに言っても、恐怖だった。祈りつつも、不安、恐れ、思い煩い・・そんな中、
主は驚くべき奇跡をされ、思いを遙かに越えて必要を与えて下さった。初めての
経験だった。物質的困窮を何度も〃通り、必ず満たされ、ついには「今回はどの
ように与えて下さるか、楽しみだ」にまで至った。

目の前の事態は、主との信頼関係が深められるための、練習だ。主への信頼が深
められて行く。泳法の立派な解説書を幾ら読んでも、実際に泳ぐ練習をしなけれ
ば泳げるようにならない。現実の問題の中で、祈り、信じて行こうとする中で、
信頼関係を築いて下さっている。

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人間同士でも、信頼関係は、時間をかけながら、少しづつ培われて行く。通りす
がりの人を信じる事はできない。主から送られて来ている目の前の一つ一つの事
柄が、主との信頼関係が築かれ、深められて行くための機会だ。深められて行く
とは嬉しいことだ。