2012年05月18日(金)

「というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」Uコリント12:9


ある人の証しだ。職場の付き合いで悩んだ。飲み会がしょっ中あるのだ。時間的にも身体的にも苦痛であり、しかし参加していた。何となく、参加せざるを得ない雰囲気で、渋々だった。連日、深夜まで続き、もう限界だった。それなら断ればと思うが、断れないのが自分の弱さだった。「ノー」が言えない。ある日、祈りの中で、そんなズルズルベッタリの、中途半端な自分の姿が見えた。

人ばかりを恐れて、主に従っていない事に気づかされた。人にどう思われるかが気になり、神も信仰も吹っ飛んでしまっていた。ただただ、人に嫌われたくなくて、人におもねっている自分に気づかされた。「人を恐れるとわなにかかる。しかし、主に信頼する者は守られる」。人を恐れている自分、しかし、主に信頼するなら守られるとの言葉に励まされ、現状をことごとく主に告げ、助けを求めて祈った。

主のもとへ持って行くと、心に平安が臨んだ。あれほど人が気になって仕方が無かったのに、心が変えられて、自分は自分と思えるようになった。そして、断ることができた。尚かつ、仕事も、対人関係も守られた。「ノー」が言えない自分が変えられ事が、何よりも神のみわざであった。弱いまま、主に頼る時、恵みは十分で弱さの中にこそ、御力を現して下さる。
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心底、御力に頼れるかどうかが問われている。自分で自分を守ろうとせず、信仰により完全に主の助けを期待し、祈り求めるなら弱さのうちに無限の可能性がある。