2002年01月18日(金)

「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました」(マルコ12:43)


 時々、様々な慈善が新聞の地方
覧をにぎわす。資産家が数億円の
寄付をしたとか。それは社会に対
して良いことだ。神はある人達を
富ませ、他の人々に恩恵を施すよ
うにしておられる。
しかし、億万長者なら、数億円の
寄付は一部だ。聖書は別の意味の
大きな献げ物を記している。
イエスは貧しいやもめが宮の献金
箱に二枚の効果を投げ入れた事を
見られた。そして、評価された。
これは莫大な献げ物だった。
主は、彼女はどの人よりも沢山献
げたと言われた。金持ちは有り余
る中から献げたが、この女は乏し
い中からあるだけ全部を投げ入れ
た。ここで重要な事は、人が献金
する額よりも、その献げ物の背後
にある「犠牲」なのだ。主が見て
おられるのは「犠牲」だ。
もし、私の献げ物をイエスが犠牲
の原則によって評価されたらどう
だろうか。イエスが真に見られる
のは、額ではなく私達の献げる態
度と犠牲だ。