2012年07月18日(水)

「道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」ルカ24:32

信仰にとって、大敵の一つが「失望落胆」だと言われている。心が失望してしまっている時には、主が見えない。心がふさがれて、主が全く見えなくなる。郷里のエマオに向かっていた弟子たちは、失望落胆、絶望の中にいた。主は弟子たちに、何度も〃十字架にかかって死に、三日目によみがえると告げられた。しかし、弟子たちは、主がローマ帝国を倒して、地上に王国を建てられ、王になると思い込んでいた。

それが、一番惨めで残酷な、辱めの十字架刑で死んでしまわれた。自分たちの切なる希望、期待が粉々に砕かれた。失望と空虚により、信仰の目がさえぎられ、不信仰に陥っていた。私たちもどうだろう。事態が自分の思い通りにならない時、自分の思いとは違う現実を突き付けられた時、受け入れる事ができない。そこで主と自分の間がさえぎられてしまう。

対人関係に悩みに悩んで、別の職場を求めている時に「忍耐せよ、今の状況でなければ得られない学びがある」と言われると、辛くて受け入れがたい。しかし、そんな失望落胆にいた弟子たちが、変えられた。暗く重く沈んだ心が、引き上げられて行ったのだ。

心が赤々と燃やされ、喜びが出て来た。何でそうなったのか。主の語られる言葉に、一心に耳を傾けて行った時に、「信仰」がよみがえって来た。私たちも厳しい現実を前に、今一度、一心に御言葉に耳を傾けてみよう。御霊は働き、信仰の灯を点じて下さる。
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聖書を開きみ言葉を読むと、目の前の状況が神様の支配の中にあるとの信仰に引き戻され、自分の思いを神様に委ねて行くことが出来る。失望落胆で気持ちの重い時、み言葉を聞こう。御霊様が慰め励まして下さる。