2013年08月18日(日)

「あなたが彼らの地を所有することのできるのは、あなたが正しい からではなく・・また、主があなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤ コブになさった誓いを果たすためである」申命記9:5



主が、イスラエルを祝福されたのは、彼らが良いものであったから
ではなく、あくまでも、主が誓われた契約を果たされるためだとあ
る。このところは大切で重要だ。全能の主でさえ、契約に拘束され
ておられる。契約に反する事を断じてお出来にならない。

私達が罪赦され、神の子とされるのは、私たちが高価で尊いからで
はない。私達が良いからではない。私達の側にはよらない。これは
何という平安であり安堵だろう。もし、事が私たちによるなら、誰
一人、神に従って行ける者などいない。律法を行なえる者などいな
い。

即、皆、滅ぼされてしまう。そうではなく、神が御子を遣わされて、
御子を罪とされたゆえに、私たちを罪しないと定められた。これが
新しい契約であり、私達はこの契約の中にいる。私達がどうこうで
はいっさいなく、神がご自分の契約により、私達をご自分の子供と
されている。

何があっても、絶対に、神はご自分の契約をほごには出来ない。こ
こに私たちの全き平安の土台がある。あのずる賢くて、父も兄も欺
いて祝福を横取りしたヤコブは、兄の殺意のゆえに逃亡。野宿する
ヤコブに神は「あなたを守り、この地に連れ戻す。約束を成し遂げ
るまで決してあなたを捨てない」と。

その神の約束のその通りに、約束ゆえに、あの狡猾なヤコブが、大
きな祝福を受けて、故郷に戻された。神は、約束を決してほごにさ
れない。

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事が自分によるなら、うまく行っている間は良いが、つまずいた途
端に、拠って立つ所が無くなってしまう。自分による事でなく、神
によるとは、何と安堵なことだろう。神は約束を成し遂げて下さる。
信じていよう。