2013年11月17日(日) 「この女は自分にできることをしたのです」マルコ14:8
「この女は自分にできることをしたのです」マルコ14:8
信仰人生で、「時」と「機会」は大切だ。時と機会は神から来る。 ベタニヤでマリヤは、食卓についておられる主に、ナルドの石膏の つぼを割り、頭に注いだ。300万とも言われている高価なものだ。 結婚のために少しづつ少しづつ貯えたのだろう。 主の足もとに座って、御言葉を真剣に聞いていたマリヤは、ただ一 人だけ、主がこれから、自分の罪のために十字架にかかられる事を 悟った。もう間もなくである事を知り、主の葬りのためにと、感謝 の余り惜しげもなく注ぎ尽くした。これから十字架へと向かわれる 主を、どんなにお慰めした事だろう。 何も知らない弟子たちは無駄な事だと憤慨した。貧乏な人達に施せ ば良いのにと。しかし、主はマリヤを弁護された。わたしのために 自分にできる事をしたのだと。主はその愛の行為を受け取られた。 貧しい人はいつでも一緒におり、いつでも施しができると。 主が言われた通り、その時と機会を逸したなら、マリヤはもう香油 を塗ることができなかった。この後、主は十字架へと向かわれた。 いつでも「機会」があるのではない。御霊の示される貴重な、その 時しかない「時」がある。 それを逃したなら、二度とない機会だ。今、もし御霊に示されてい る事があるなら、時と機会を逃す事なく、主に愛を表そう。 ・・・・・・・・・・・・ マリヤはこの時を逸したなら、主に愛をお献げできなかった。御霊 の導きがわかったなら、すぐに従おう。ぐずぐずして時を逃すと、 気持ちも薄れて、気力も失せ、必ずや従えなくなってしまう。今、 示されていることがあれば、すぐに従おう。