2014年01月18日(土)

「私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教え とに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ 悟らず・・」Tテモテ6:3 


ここでは、高慢とは、主の健全なことばと教えに同意しない事だと
言っている。神の言葉を素直に受け取る事をせず、「でも」「で
も」と、「でも、そう思わない」「でも、そんな事できっこない」
「でも、無理」と拒否してしまう。「私はこう思う」と、自分の思
いのほうを取る。

「あなたは高価で尊い」と言われると、「そんな事はない」と決し
て信じようとしない。頭ではそうなのだろうと思うが、心では受け
入れない。又、「何も思い煩わないで・・」と言われる御言葉に同意
せず、延々と思い煩う。御言葉を拒否し、捨てていることになる。

又、御言葉を自分の都合の良いように聞く。その結果「その人は・・
何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをする病気にかかっ
ている。そこから、妬み、争い、そしり、悪意の疑りが生じ」と、
どんどん肉の実を結んで行く。自分の都合の良い御言葉だけを受け
取っていないだろうか。

ある人が、いつも牧師に助言を求めるが、同じ失敗を繰り返してい
た。その人は、牧師の助言に、口では「わかりました」と言うが、
必ず自分の思いのほうにに従って行った。口先では御言葉に同意す
るが、実際は自分の思い通りに行動する。そして、同じ失敗を繰り
返してしまう。

実は自分軸には、御言葉でなく、自分の思いがあった。自分に都合
良い言葉だけを聞き、都合悪い言葉を捨てるなら、高慢になってい
ると、神は言われる。自分の思いを捨てて、御言葉を選択し、従お
う。

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御言葉を聞く時に、「でも」「でも」が、自分自身の内にないか振
り返ってみよう。大切な御言葉を捨ててしまうことになる。「で
も」を捨てて、そのまま御言葉に従ってみよう。その時に主のみわ
ざを見る。