2014年03月18日(火)

「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります」マタイ6:34



明日のために、雨の日のために備えるのは良いことだ。何も考えない無計画な能天気が良いと言っているのではない。主は、備える事でなく、思い煩う事が無用と言っている。思い煩いは、とどまることが無い。今日は大丈夫でも、明日は?明後日は?老後は?「神が心配して下さるのだから、思い煩いのいっさいを神に委ねよ」と言われる。

今日も明日も神を信頼して生きよと。委ねられないから、思い煩いが消えない。不安と恐れで一杯だ。神と自分があり、神ではなく、自分を信じているからではないだろうか。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めよ。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられる」。主を第一に、主の御心を求めて、生きて行く時、それに加えて、生活の必要をすべて与えて下さる。

優先順位の一番目が主だ。その時に、すべて主が責任を持って下さる。しかし往々にして、この優先順位を逆にする。「何を食べ、何を飲み、何を着るか」、自分の必要を第一にするので、思い煩いと悩みで一杯だ。もし思い煩いが絶えないなら、優先順位を考えてみよう。

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」「正しい者が見捨てられたり、その子孫が食べ物を請うのを見たことがない」。主は、愛する子どもが、思い煩いと恐れで震えている事を喜ばれない。主を第一にして生きて行く時、必ず喜びと感謝が生まれ、大きな安堵の中に守られる。
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明日を完全に支配することができないから心配になり思い煩う。主は心配するなと言って下さっているのに、何と不信仰な者だろう。主が支配される明日を信頼し、今日を忠実に平安に生きていこう。