2014年06月17日(火)

「主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた」創世記39:2 



ヨセフは、人の悪でさえ、神は、良いことにして下さったと言った。
人が邪悪な思いで、私たちに悪を計ったとしても、そこに主が介入
され、良いこととして下さる。それなら、人生に恐れは無いのでは
ないだろうか。兄たちに妬まれたヨセフは、兄たちの悪意により、
エジプトに売られた。しかし「主がヨセフとともにおられたの
主人に非常に愛され、財産の管理をも任せられた。

しかし、それも一転、無実の罪で牢獄へ。奴隷より更に悪い囚人だ。
だが、その牢獄でも、「主はヨセフとともにおられ」監獄長の心に
適うようにされ、囚人の世話を任された。そして、「主が彼ととも
におられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださった」。

時に、状況がどんどん悪い方に向かう事を経験する。人間的に見る
なら、主は一体どこにおられるのか、共におられないのではと思っ
てしまう。しかし、「主はヨセフとともにおられた」。私たちも同
様であり、マイナスの事態が起きる時、はっきりと「主がともにお
られる」のだ。

すべての事が、主の御手の中にあり、主の主権と支配の中にあると
は、何と安心なことだろう。「永遠の腕が下に」、そして、そのよ
うな中で、主に信頼して行く時、八方ふさがりの、最悪の状況であ
っても、それを良いものに変えて下さる。主を信じ、そこに立って
いよう
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全てのことが神から発し、神によって成り、神に至る・・だ。心は
迷いやすくなかなか信じ切れない者だが、ともにいてくださる主の
最善を信じ前から来る困難に忍耐する者でありたい。