2014年07月18日(金)

「ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない」ヨシュア3:8


       
                   
祭司たちは、契約の箱をかついで、ヨルダン川に足を踏み入れた。
それは丁度、春の最も水かさが増える時期であり、自分の背丈より
も深い川に入って行こうとした。目に見える何の保証もなく、ただ、
ヨシュアの言葉だけであった。「足の裏が、水の中にとどまると、
上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つように
なる」。

先に、川の水が、そのようになってから、渡るならいとも簡単だ。
誰でも渡れる。しかし、まだ川の水が岸一杯に溢れている時に、足
を水の中に入れる事は、決して簡単ではない。そこには信仰が必要
だ。語られた御言葉に従うことが信仰であり、信仰もって従う時、
いつも神のみわざを見る。

何も見えなくとも、御言葉に一歩従う時に、確かに神が見えて来る。
私たちは、見えない状況は非常に不安であり、恐れがあり、少しで
も見えたなら従おうと思う。しかし見えたなら、信仰は要らない。
見ているものを信じる必要がない。

先にヨルダンの水がせき止められたのでなく、足を踏み入れた後に、
せき止められた。この順序は重要だ。見てから従おうとするなら、
一生従えない。今、一歩を踏み出すように示されているなら、御言
葉を頼りに、何も見えない中で、踏み出そう。神の素晴らしいみわ
ざを見ることになる。
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御言葉を信じて従い、そこで神様を知れた経験が更に信仰へと進ま
せてくれる。踏みとどまらず、目の前の御言葉の一つ一つを信じ、
神様が見せようとしておられる栄光をしっかりと見ていこう。