2014年11月17日(月)

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容・・もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか」ガラテヤ5:22


寒暖計の人生がある。外気温が指し示す通りに、正比例して反応す
る。人がやさしければ、やさしく対応し、寛容であれば、寛容に
応する。そして、人が冷淡であれば、冷淡に、悪口を言われれば、
こちらも悪口を言い、敵対されれば、こちらも敵対する。

これなら、自分の幸せ、不幸せが、人によってコントロールされて
いる事になる。相手次第という事になり、それではまるで自分が無
い。ここ数日を振り返ってみてどうだろう。他人のあの言葉やこの
態度で、自分がアップダウンして、振り回されていないか。他人の
言葉で一喜一憂し、すべてが人に左右されてしまっている。

まず人に反応して、人の目を気にしている自分に気づきこう。人の
目を気にし、人を見ている時、神を見ていない。人に反応するので
なく、御霊に反応し、御霊の示しに従い、生きて行く時、真の喜び
と平安がある。

ある人が、自分に辛く当たる相手がいて、挨拶しても無視された。
しかし、人に反応するのでなく、御霊に従って生きる決心していた
ので、相手に関係無く、無視されても、自分は挨拶を続けていた。
ある時、相手の仕事で助けられた事があったので、感謝を告げた。

すると相手の表情が突然変わり、良心のとがめを感じているようだ
った。その後、心通い合う間柄にされた。どんな時も御霊に従い、
行動して行く時、御霊の実を結んで行く。
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軸が人の態度とそれに呼応する自分だったものが、御霊を与えられ
御霊に反応する者とされた。相手に関係なく御霊の実を選んでいこ
う。肉が動機の安易な親切や善意からもまた解放してくださる。